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●自由英作文塾・第2日目

 それではさっそく「練習問題」にチャレンジしましょう。第1日目で勉強した解法の手順を忘れていませんか? まずはそれをきちんと身につけること。あとで,2人の学生が作った下書きメモを提示しますから,自分のものと見比べ,検討してみてください。


 次の題で100語以内の英文を書きなさい。

 My Opinion about School Uniforms


 さあ、第1日目で学んだ方法を使って,実際に問題を解いていこう。内容を忘れた人は,面倒くさがらずもう一度参照しましょう。

Stage 0 アイディアの洗い出しをしよう!

 この問題の与えられたテーマである「制服」に関してまずは落ち着いて,自分の日頃から感じていることや,もし今まで特に真剣に考えたことがなければ,改めて「制服」に関して自分の考えを洗い出してみる必要がある。

 いきなり理路整然とした日本語の下書きができるわけないから,焦って日本語をかくまえにじっくりと頭の中で考えてみよう。その頭の中で考えたことを,とにかく最初は思いつくままバラバラで脈絡がなくてもいいから,どんどんメモの形で目の前に文字として書き出してみる。

 この段階がStage2の下書き以前の「アイディアの洗い出し」の段階である。

 コツとしては制服という言葉から自分が連想することから出発して,制服に関してのプラスやマイナスの側面へとアイディアを並べてみることである。

 日本人は「帰納的」な発想の方が一般的には得意なので,「具体的なアイディア」から初めて,そのネタでつながりそうな「抽象的なアイディア」へと発展させる方がやりやすい。日頃からこのようなアイディアのストックを増やすことが有効な対策なのである。

〈日本語の下書きの前に〉

 「アイディアの洗い出し」の作成(本番の試験では時間がないので、頭の中で実行してもかまわない) たとえば自由英作文は全く初めての A 君の頭の中から次のような内容が出てくるとする。

(例) A 君の「アイディアの洗い出し」

うちの学校の制服は?⇒色がとにかく地味だ⇒この色は嫌いだ⇒制服はセンスが悪い

制服は1枚しかない⇒毎日洗濯できない⇒汚れていて汗くさい⇒不潔で衛生的でない・・・・・

 さて、A 君のアイディアを見てみなさんはどう思っただろうか?

 この内容をそのまま英語に直したとしたら,自由英作文としての得点はほぼ0点になるだろう。では、このアイデアのどこが悪いのだろうか?

  A 君の発想は制服の色や洗濯のしにくさという「制服の外面的特徴」だけに目が奪われてしまっている。これでは「意見」ではなくて「好き嫌い」のレベルの感情的・短絡的な反応をただ無造作に並べただけになってしまう。

 さらに制服の色やデザインに関しては個人個人の好みという「主観的な」判断に左右されてしまう事柄なので,第3者を説得できるような「客観的な」結論に持ち込むことは非常に困難といえる。

 洗濯のしにくさについても,制服を何枚も持っていたら洗濯のサイクルに余裕が出ていつも清潔でいられるし,最近は乾燥機もある家庭が増えているので毎日その気があれば洗濯するのも可能だとすぐに簡単に反論されてしまうので,この観点でも普遍性を持った根拠とは言いがたい。

 しかもこのような好みに関わる内容ではこれ以上話が発展しないで,尻切れとんぼ状態であとは無数に好みの話が出てくるだけである。たとえば同じような好き嫌いで言えば,ボタンが嫌い,ポッケットの数が少ない,冬服は寒い,夏服は暑い,などなどキリがない。

 制服悪口全集とか落書きならこんな程度でも許されるだろうが今は大学入試の話なのである。もっと簡単に言うと,制服の色や洗濯のしにくさというレベルの解答をそもそも大学側が期待しているかどうかという問題がある。

 いやしくも大学入試に出題される問題にこんな低いレベルの解答で皆さんは本当に大丈夫だと自信を持って言い切れるだろうか?

 べつに自分の気持ちを偽ってまで嘘の立派な意見を書かなければならないとまでは言わないが,皆さんの答案を採点するのは一応日本社会の中では知的レベルの高い教養人の大学の先生なのだ。あまりにも稚拙な解答では採点者があきれてしまうだけである。

 10代後半の若者なら当然持っていて然るべき知性と教養に裏づけられた内容,多少は背伸びしてでもある程度硬派な言葉を駆使した書き方,可能ならば大学の先生とも共有できるくらいのもっと社会的にも意味がある問題意識に基づいた意見を書きたいものである。その意味では A 君のアイディアは明らかに落第である。

〈アイディア洗い出しの注意点〉

⇒主観的で幼稚な感想は絶対避ける。

 次に日頃からニュースや新聞などで社会情勢や時事的な事柄に興味関心を払っている B さんのアイディアを検討してみよう。

(例) Bさんの「アイディアの洗い出し」

 ではBさんのアイディアを見てみよう。

制服は?⇒みんな同じ格好をする⇒それは良いことか?

⇒本来人間はみんなひとりひとり異なった存在のはず⇒すると制服は画一的なもので,個人の多様性とは対立することになる

⇒私の気持ちは?⇒本当はもっと日によって違う服装がしたい

⇒なぜできない?⇒学校の規則で制服着用が義務づけられているから

⇒なぜ学校はそんな規則を設けているのか?⇒その方が学生を管理しやすいから

⇒結局制服は学校側の都合が優先されている⇒学生の個性は無視されている

⇒制服を廃止したらどうなるのか?⇒服装が派手になると批判する PTA のおばさんもいる

⇒私の実感はどうか?⇒学生の間には暗黙の了解があって自然と服装の自主規制が行われるはず

⇒それならなぜ制服を廃止しないのか?⇒学生の自主的な判断や行動を学校側は信用しないから⇒学生性悪説に学校は基づいている

⇒これで良いのか?⇒学校は本来学生と学校側との信頼関係の上に運営されるべき

⇒結局学校が学生に抱く不信感の象徴が制服だ・・・・

 BさんのアイディアはA君と比べてどうだろうか?

 明らかにBさんのアイディアのほうがすぐれているという印象を持ったのではないだろうか。それでは一体どんな点で,Bさんのアイディアはすぐれているのだろうか?

 いくつかのポイントを上げてみることにする。

 制服から連想されることを常に自分に問い直すように心がけている。考えついたことを「自問自答」する姿勢にそれが現れており,この姿勢によって独りよがりの独断を避けて自分の考えを他者の目から客観的に検証することが可能になり,説得力を持った意見が自然と随所にあらわれてきている。

 制服という「日常的」な視点が,それを着用する「学生」とそれを強制する「学校」との対立という「普遍的」な視点にまで高めている。これによって単なる制服の話から,社会性を持った教育現場が抱える問題点という「教育論」にまで発展し,内容の普遍性も高まることになる。

 また、「アイディアの洗い出し」の方向に一貫性があり,制服の現状からその問題点,その理由,制服廃止という積極的な提案,というように発想が直線的に段階を追って発展している。

 論理性という点において矛盾が見られない。このように B さんのアイディアにはすでにみなさんが参考にすべきいくつかの正しい「洗い出し」の具体的なヒントが見られる。それは以下のようにまとめることができる。

(1)自分の本当の気持ちに正直になる。これによって具体的な例証に他の人には真似ができない独自の視点が加わり「オリジナリティー」が保証される。

(2)与えられたテーマを社会的に意味がある問題まで高める。これによって自分の意見に第3者も共有できる「普遍性」が保証されることになる。

(3)自分のアイディアの正当性を客観的に検証しながら考えていく。これによって自分の意見の「客観的な説得力のある根拠」が保証される。

  以上のことをもっと詳しく説明することにする。

 「アイディアの洗い出し」では自分の日常的な体験や具体的な印象などから出発してかまわない。自分の個人的な生活環境だけは他の受験生が真似しようと思っても絶対に真似できない自分だけの「オリジナル」なものである。つまり自分の現実の日々の生活の手応え,自分の人生の蓄積こそがまさに勝負すべき個性なのである。

 ただしその具体的日常的なレベルでとどまってしまってはダメである。その具体的なディーテールを更に他人にもわかるような言葉に置き換えてやらなければならない。

 第3者でも想像がつく,追体験できる,同感できるような話にしないと結局独りよがりの閉じられた世界で終わってしまう。他者と共有できる変換方法として一番確実なのは,自分の個人的な考えを,もっと大きな用語やもっと一般性を持った話題やもっと普遍性を持ったテーマの中に組み込むことである。

 つまりここで個人の視点から一歩踏み出して,自己と他者を含んだ集団としての「社会的な視点」にまで話を広げる必要があるのだ。

 この問題のように「制服」という単語は広く捉えたら「学校」や「教育」の分野に含まれることになるし,「個性尊重」や「管理主義」まで踏み込んでもよい。

 他にも「タバコ」がテーマの場合は,広く捉えたら「公衆道徳」や「健康問題」にまで広げることができるし,「嗜好品の是非」や「人間の権利と義務」というより深い問題にも関連づけられる。「脳死」なら「医学」や「死の選択」という哲学的な問題まで高めることができる。「家事」なら「男女平等」や「社会的価値観の変化」まで掘り下げることも可能である。

 このように常に意識して欲しいのは,自分の個人的な話題もより大きな観点から捉え直せば,必ず何かの「一般的な社会的問題」の土俵で論じることができるということである。

 ここまで来れば,あとは自分の意見を他者に説明するだけである。

 その説明の仕方には様々な方法がある。論理的な因果関係を用いて相手の理性に訴えてもいいし,具体例を提示して相手の類似の体験による共感にアピールしてもいいし,わかりやすく言い換えたり比喩表現を使って相手の想像力を利用してもいい。

 もちろん大学入試の自由英作文において一番確実で簡単な方法はなるべく論理的な説得を心がけることである。もちろんその際には客観的な根拠を確実に示して,具体例を的確に提示することで一層説得の効果は高まることになる。

 まとめると,個人の生活体験からはじめて,それを社会的な問題にまで高めて,論理的に説明するということになる。

〈洗い出しのポイント〉 個人の生活体験⇒社会的な問題に発展⇒論理的に説明

Stage 2 アイディアの洗い出しの内容を下書きにまとめよう!

  「アイディア洗い出し」のコツがわかったら,あとはその内容を英文に直すための「日本語の下書き」にとりかかることになる。その際気をつけて欲しいのは,自分の英語力は自分が一番よく知っているわけだから,あまり無理をして難しすぎる下書きをしないように心がけることである。

 さらに当たり前のことだが,なるべく短い簡潔な日本語でまとめる。下書きと言っても完璧な日本語の文章にまでする必要はない。あくまでも自分の力で正しい英文が確実に書けるような語彙レベルの日本語を,メモ程度の文字にすることである。

 さらに注意すべきことはテーマ英作文の大原則を守ることである。

 テーマ英作文では「演繹的な書き方」が確実である。「洗い出し」のメモはまだ日本語の発想で「帰納的」に書かれたものに過ぎない。「日本語の下書き」はそのあとの英文への変換を最初から意識して,「洗い出し」の内容を「演繹的」な論理展開に再構成しなければならない。

〈下書きのポイント〉 結論⇒根拠の「演繹的」な構成にする

 Bさんのアイディアを使って,具体的な手順を見てみよう。

  自分の英語力をなるべく低めに見積もって無理なく英作文できそうな単語レベルに内容を修正しながら,「演繹的」に構成しなおす。

 Bさんのアイディアは量が多すぎるので,語数制限のことも念頭に置いてメモの分量も絞り込むことにも気をつけること。受験生のレベルによってその再構成にも当然違いが出てくるだろうが,ここではとりあへずいつかは皆さんがたどり着いて欲しいという願望も込めて多少理想形に近い形で「下書き」の一例を示すことにする。

 B さんの洗い出しの中から,特に制服を管理と自由の視点を中心にまとめてみると,次のような下書きになるだろう。

◆B さんの「日本語の下書き」 ◆

(結論)

 制服は廃止すべき。

(根拠)

 校則がないと風紀が乱れると主張するが,制服は管理の手段に過ぎない。

(具体例)

 実際私の学校は服装自由化のあとでも特に乱れはなかった。

(一般化)

 一度自由化してみて制服の是非を論じる必要がある。

  この例はかなり英語力がある受験生の下書きといえる。結論を最初に持ってきて,そのあとに詳しい説明を述べるという構成は,まさしく「演繹的な書き方」に沿っている。個人の生活体験として自分の学校の具体的な自由化後の現状を書いてあるのも説得力がある。「管理教育」と「教育の自由化」という論点はまさしく社会的な問題にまで話を発展させてある。

 全体としての論理展開にも全く矛盾が見られない。さらに自分なりの建設的な意見を最後に入れることで,単なる感情的な制服反対というレベルを超えた一般性を獲得しているといえる。この下書きをまずまずの英文で書けたらほぼ満点の答案といえるだろう。

〈日本語の下書きのポイント〉

⇒洗い出しの内容を演繹的に再構成する

Stage3 その「日本語」を英作文しよう!

  十分に時間をかけて「日本語の下書き」を完璧に仕上げたら,もはや内容面での変更はしないこと。その下書きの日本語を純粋に英作文すればよい。その際単純なスペルミスや3人称単数の“ s ”のケアレスミスや文法的な凡ミスなどを極力ゼロにするよう慎重に確認することを忘れないように。

 自由英作文でも答案を採点者に見てもらうことにかわりはない。内容が良くてもひどい英文だったら心証は非常に悪くなり,高得点など望めない。今までのせっかくの努力が水の泡になる。

 英文の形式面でのミスを可能なかぎりなくすようにしよう。

〈解答例〉

  I don't think that we need to wear school uniforms. People may insist that if there were no school uniforms, students would never wear decent clothes and they would be crazy about wearing as different clothes from other students as possible. But this sort of argument is only an excuse for the school controlling their students. In reality, our school abolished the school rule about school uniforms and our way of dressing ourselves has been almost the same as before. People should think twice about the necessity of school uniforms after they try doing away with them.

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